庚申碑の整備 |
これだけの庚申碑があるのは、東海地方では珍しいと考えていました。
歴史的にも貴重な碑が、民有地の愛宕山城址に放置されていましたので、整備の必要性を訴え続けてきました。
その愛宕山城址が住宅用地として造成されることになりましたので、走井山公園に移設することを訴えました。
愛宕山城址に放置されていた『庚申碑』 | |
移設工事中の様子 | |
走井山公園に移設された『庚申碑』 |
撮影:伊藤研司
<庚申とは?>
庚申の夜がくると、人々は一夜、寝ずに過ごす。その理由は、庚申の夜には、体の中にいる三尸(さんし)という虫が人体を抜け出し、天帝に人の罪過を報告に行くと言われているからである。その報告をもとに健康や寿命が定まるので、身におぼえのある人はなんとかして三尸(さんし)の動きを制止したいと思う。そこで、庚申の夜には寝ずにいて、三尸(さんし)が抜け出すのを身体をはって防ぐことだった。詳しくは『人文書院:庚申信仰』を参照して下さい。
図→桑名市文化財調査会史跡部門・平岡潤先生が昭和36年4月22日に調整 されたものです。
額田廃寺(淨蓮寺) |
大友の皇子(おおとものおうじ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)が戦った壬申の乱(じんしんのらん)で大海人皇子が勝利しました。
その大海人皇子に味方した伊勢の国美濃国の豪族に功績として許可した氏寺と言われています。
児玉道明先生の指導で、昭和38年〜39年に発掘調査が行われました。
法隆寺式伽藍(がらん)配置の講堂・金堂・塔の遺構跡が発掘され、白鳳期の軒先丸瓦も多く出土しました。
額田神社と共に、額田郡の祭政の中心でもあったとも言われています。
遺構跡を参考に当時の寺を再現<桑名の歴史より。伊藤研司著> |
(中日新聞)→額田廃寺の発掘の記事。大変重要な発掘でありましたが、その当時の様子を伝える記事はこれだけです。 A4版で数ページの資料が博物館に保管されているだ けです。 |
縄生廃寺の発掘の様子。瓦が出土。 撮影:伊藤研司 |