"生きる希望"を持てる桑名市を目指して! 桑名市議会議員 伊藤研司  

 

震災から100日以上経っても、田んぼには水が?!

震災から100日以上経っても、田んぼに打ち上げられた船の片付けが出来ていない風景が多く見られた。

   

津波が襲って来た時、近所の人たちはこの高速道路に逃げ、一晩を過ごし助かったとの話しを聞く。

高速道路沿いの田んぼに船が?! 地盤沈下?! 水に浸かったままの田んぼ。排水機も壊れ排水作業が出来ないとのこと。

 

 

名取市役所の対策本部で説明を受け、被災現場に向かう。余りの悲惨さに唖然!

ほんの少し高台にある「お堂」だけが残る。

   

3・11震災までは、幸せな家族がこの場で生活していた様子が伺える。言葉が出ない。

閖上地区には、何も残っていない。ただ、このお寺だけが残っている。

   

墓石と向こうに見えるのは、閖上地区の地区センター。

土台だけが残る家に手を合わせお参りするお二人。車で来られて見えた。お話を伺おうと思ったが、かける言葉が無かった。
写真を撮った後、私自身も手を合わせお祈りをする。3月11日まで、幸せな生活がこの場で営まれていたことを想うと、私自身の胸もはち切れそうになった。今、こうして整理をしていても胸が熱くなり、涙が止まらない。

   

戦災に遭ったような光景。言葉が出ない。

何も残っていない閖上地区に、墓石と仏様だけが残っていた。亡くなられた人々の魂を慰めるように…。合掌。

   
 

戦火に遭った様な一帯を歩き、写真を撮っていると、遠くに大漁旗が見えた。思わず、「大漁旗!こっちに来て!」と大声で同行している議員に叫んだ。シャッターを押し続けた。胸が熱くなってきた。

   

「黙とう」をしてから、同行していた議員に撮ってもらう。大漁旗がこんなにも「たくましく」感じられたことはない。

閖上中学校。閖上地区の中には、一旦は閖上小学校・閖上中学校に避難 したが、チリ地震と同じくらいと思い、日用品を取り自宅に戻った時に二波目の津波に襲われ多くの方々が亡くなってしまったとの話しをお聞きする。

   
   
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